若い頃には、ケルトの神話や伝説、詩に心酔しており、
彼の音楽表現の根底には、その頃に培われたケルト的な象徴主義、神秘、幻想の世界が、脈々と息づいていると言われています。
この曲が書かれた1913年には『春の祭典』が初演され、一大センセーションを巻き起こしましたが、
それと同時に、このバレーのテーマとなった原始宗教にも、衆目が注がれることになります。
バックスがこの交響曲を着想した背景には、そんな時代の風潮があったと考えられています。
曲の直接の題材となったのは、イギリスの詩人スウィンバーンの作品で、『カリドンのアトランタ』という詩。
その冒頭部…
“春の猟犬たちが、冬の残した轍の上を進む時、
女神アルテミスが、草原や暗がりを雨音で満たす…”
※アルテミス:ギリシャ神話で、自然や狩猟を司る若く美しい女神
バックスは、この冒頭部分にインスパイアされ、交響曲『春の炎』を作曲しました。
全5楽章から構成されるこの交響曲は、楽章ごとに以下のような副題がつけられています。
第1楽章:夜明け前の森の中で
第2楽章:暁と日の出
第3楽章:真昼間
第4楽章:森林の恋(ロマンス)
第5楽章:ミーナッド(=酒神バッカスの侍女)
バックスが描いているのは、春を迎えるケルトの厳しい大自然を、神話や伝承に基づく風物詩として描いているのであって、
そこで生活する人々の姿や、甘い感傷は微塵も感じられません。
私が聴いた範囲でのバックスの作品は、どの曲も徹底して感情を削ぎ落とした、大変に厳しい表現を基調とした音楽だと思います。
私自身も最初の頃は、心に留まる何かを感じつつも、難渋で、なかなか親しむことができない音楽でした。
しかし何度か聴き込むうちに、他の音楽からは聴き取ることができない、独特の神秘的な世界に惹かれるようになりました。
第1楽章で感じられる、湿り気を帯びた大気が僅かに揺らぐ質感…、
第2楽章での、滴る水の音さえ止んで、訪れる不思議な静寂の世界…
第4楽章の、『牧神の午後…』を髣髴させる、まどろみの世界…
第5楽章では、バッカスの讃歌とも譬えられそうな、狂乱の世界…
バックスの作品は、祖国イギリスでも演奏される機会は、今日に至るまで殆どなかったと言われています。
でも私にとっては、「もう少しこの人の作品を聴いてみたい」と思えるような、知られざる作曲家の一人です!