ところで、9つあるベートーヴェンの交響曲の中では、第3、5、6、7、9番は、他に類を見ないほどの個性的な作品であり、
それぞれの作品ごとに、ほぼ一様にオーソライズされた評価が定着しているように思います。
それに比べると、第1、2、4、8番は、存在感という点においては、前5曲よりも劣っていることは否めない事実でしょう。
その中で第4番は、私には相性がいまいち合わないのか、
トスカニーニ盤に始まって、結構色んな演奏を聴いてきましたが、
ベートーヴェンの交響曲の中で、最も存在感の薄い作品と感じています。
ただ、多くの方がこの曲のNo.1演奏に挙げられているC.クライバー/バイエルン放送響の演奏は、
CD1枚にこれ1曲しか収録されておらず、
かつ廉価盤にならないから、というケチな了見のために、
未だに聴いたことがないことを、告白しておきます…。
ただ、この曲の第1楽章だけに限定した話ですが、ブルーノ・ワルター/コロンビア交響楽団の演奏は、強烈に印象に残っています。
序奏部の、闇が徐々に明るくなっていくにつれて、希望に胸が高まっていくような表現。
曲の後半部、遠雷を髣髴させるティンパニーの轟きにこめられた、波乱万丈の未来を予兆させるような表現。
青年ベートーヴェンが、自らの未来を見据えたようにロマンに満ち、かつ暗示的な素晴らしい表現は、
今CDで聴いても、色褪せない素晴らしい演奏として心に響いてきます。
音の美しさに浸りながら、弛緩することなく全曲を聴き通せるのは、カラヤン/ベルリン・フィルの1985年のスタディオ録音。
正直申し上げて、中学生時代からカラヤンのベートーヴェン演奏を聴いて、特別なインスピレーションが得たことも、感動を受けたことも、一度もありませんでした。
そのために、彼のベートーヴェンを聴くことは今も殆どないのですが、この演奏だけは例外!
滑らかで、時に官能的とさえ感じられる弦楽器の響きや木管の美しい音色に、時を忘れて耳をそばだてることがしばしばです。
ベートーヴェン・ファンの方からは外道と言われるかもしれませんが、これが私にとっての「ギリシャの美しい乙女」との接し方です…。