1970年代にポップス調に編曲されて、『哀しみのシンフォニー』という名でシルヴィ・バルタンが歌ったこの曲は、知名度や人気の点では群を抜いた作品と言えましょう。
編曲された演奏は論外ですが、モーツァルトが書いた譜面を拠り所として再現された様々な演奏だけを比較しても、
彼の全交響曲中で、指揮者によってこの曲ほど解釈が異なる作品は、まず見当たらないと言われています。
私が所有するディスクで、第1楽章のテンポだけを較べても、
最速は、評論家小林秀雄の言う「涙の追いつかないアレグレット」とは斯くたるものかと思わせる、フルトヴェングラー/ウィーン・フィルによる6分53秒の演奏から、
バウムガルトナーがロマンティックにゆったりと歌わせた、9分40秒の演奏まで…。
これに、ピリオド楽器による演奏をも含めると、その解釈はさらに幅広くなってくるのでしょうね。
それだけ、聴き比べの醍醐味を満喫できる曲…!
そんな中で今日エントリーするのは、B.ワルター指揮するニューヨーク・フィルによる演奏。
すすり泣くように開始される第1楽章ですが、
その悲しみは、感情の起伏が寄せては引いていくように、
時にため息をつくように、
時に慟哭するように、
ヒトの心の悲しみの真実を語るように、自然な呼吸で演奏されます!
そして曲が進むにつれて、個人的な悲しみが人類共通の悲しみへと発展していくような、
実に堂々とした作品と感じられます。
第2楽章、聴き手と悲しみを共有できる名演奏は少なからずありますが、
この演奏のように、悲しみに打ちひしがれた心を慰め、解放してくれるかのような、
深い慈愛に満ちた演奏は、唯一無二のように思います。
第3楽章メヌエットの力強い歩みは、
苦難に打ちひしがれることなく毅然と生きる男の背中に表われる真実の深い苦しみを表現したような、秀逸な解釈!!
トリオ部で徐々に強奏されていくホルンの響きによって、より深い悲しみが訪れるこの演奏は、絶品だと思います!
終楽章で多用される弦のポルタメントからは、張り裂けばかりの悲痛さが溢れ出て…。
同じワルターの演奏でも、世評の高いウィーン・フィルとのライブ録音は、実は未聴なのですが、
私にはこのニューヨーク・フィルとの演奏で十分!との思いもあるのです…。
いずれにしても、音楽というものは、
譜面に縦横に並べられた音符を、忠実に美しく演奏するだけのものではないということが、如実に感じれられる、超のつく名演奏だと思います。