最近聴いたCD

W.A.モーツァルト:
管楽セレナード第12番『ナハト・ムジーク』 

ベルリン・フィル管楽アンサンブル
シュレンベルガー、ローデ(オーボエ)
ライスター、ガイスラー(クラリネット)
ザイフェルト、クリエール(ホルン)
ピースク、トローク(バスーン)


昨日、スメタナ弦楽四重奏団+J.スークの演奏で、弦楽五重奏曲第2番をエントリーしようと、作曲の背景を調べていると、

管楽セレナードK.388を弦楽五重奏版に書き換えたものだということに、恥ずかしながら初めて気付いた次第…。


所詮素人の趣味にすぎないとはいえ、少なからぬ学友が、自分のそれを追求するために第二の人生を大学院生として開始している中で、

大雑把でいい加減な知識で善しとしている自分を多少は反省しつつ、「あらためて原曲を!」と、ベルリン・フィル管楽アンサンブルの演奏で聴いたところ、

「楽器が変わればこんなにも印象が異なるものか」と、ちょっと驚いてしまいました。

個人的には、辛辣な悲しみが影を落とした印象を抱く弦楽五重奏版よりも、

大らかな伸びやかさの中に、メランコリーな翳りが美しい管楽合奏版の方が私の好みでもあり、こちらをエントリーすることに変更しました…。


1782年、父親の猛反対を押し切ってコンスタンツェと結婚した年に、オーボエ・クラリネット・ホルン・バスーン各2本のために書かれた作品。

父親宛ての手紙に、「急いでナハトムジークを作曲しなければなりません」と書かれているため、「ナハトムジーク」の名は、モーツァルト本人に由来するようですが、

どのような目的で、セレナードには珍しい短調の作品を書いたのかは不明…。

しかしモーツァルトのハ短調作品だからと言って、悲劇的でデモーニッシュなパトスが表現されていると決めつけることは、

少なくともこの演奏を聴いていると、ステレオタイプなものの見方と感じてしまいます。


私がこの曲から受ける印象は、夜の静寂の中、軽いメランコリーを伴なった懐かしい世界を思い浮かべるのです。

例えば第1楽章第1主題からは、迸り出るような惜別の情が…、

第2楽章からは、人を想う秘めやかな心情が…,

第3楽章のトリオ部からは、久遠から呼び掛けてくるような懐かしい響きが…

第4楽章の主題からは、フレンドリーな懐かしさが、
そして各変奏からは、それにまつわる様々な想い出が…


ベルリン・フィルのそうそうたるメンバーによるこの演奏、皆さまはどのような印象を抱かれるのでしょうか。

ホームページへ