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アントン・ブルックナー:交響曲第3番<第1稿> 

エリアフ・インバール指揮  フランクフルト放送交響楽団


ブルックナーの交響曲では、多かれ少なかれ版による違いが話題にのぼりますが、中でも第3番は違いの最も甚だしい作品と言われています。

第1稿(1873年)は、余りに冗長なために、作曲家生存中には一度も演奏されなかったそうです。

第2稿(1878年)は、第1稿に引用されていたワーグナー作品(「トリスタン」「ワルキューレ」「マイスタージンガー」)の大部分をカットした上で、作曲家自らの指揮で初演されましたが、

途中から聴衆が退席し、終了時に残っていたのはわずか25人という、失敗を通り越して、惨憺たる結果に終わったとか!

第3稿は現在最も頻繁に演奏されているようですが、

自信をもって世に問おうとした交響曲第8番の演奏を指揮者に拒否され、大幅な改訂を余儀なくされた際に、第3番2稿の見直しを思いつき、改訂補筆したもの。

こちらはは初演時から好評だったようです!


今日エントリーするのは、インバル指揮するフランクフルト放送響による第1稿です。

私は第1楽章冒頭部のさざ波のような弦のトレモロの上に響くワーグナーお気に入りのトランペットを聴くと、未知の世界へと誘われるようなときめきを感じ、

鮮烈な印象と同時に、意味深いインスピレーションに溢れた開始部と思っています。

ただ、これまでに聴いてきた第3番の2、3稿には、このトランペットに呼応する部分が感じられず、曲としての繋がりが希薄なように思っていました。

ところが、インバルによる第1稿の演奏を初めて聴いた時、

巷間言われていた散漫な印象を受けはしたものの、

トランペットに呼応する楽曲を感じ、初めてこの曲の素晴らしさが理解できたように思えました。

第1稿から削除されたワーグナー作品からの引用部分が、大切な意味を持った作品なのでしょうか。

第3番とりわけ第3稿の演奏から感じられる、周りを取り囲む自然、神への敬虔な信仰、人々の素朴な集い等々の世界が、

ワーグナーの曲たちの引用によって、夢幻の世界が拡がってくるような、そんな印象を抱くのです。


交響曲第3番の第1稿は、明らかに2、3稿とは異なった楽曲と言われていますが、

インバール以降、第1稿を採り上げる指揮者が増えているそうです。

前述した理由から、私もこちらの方に若き日のブルックナーの魅力が感じられるように思います。

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