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アレキサンドル・スクリャービン
ピアノソナタ第1番 ヘ短調 Op.6 

ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)


この曲はスクリャービン(1872-1916)が二十歳の年の1892年に作曲されたもの。

曲全体に充溢する暗さは、

過度のピアノ練習が祟って右手を痛め、医者に匙を投げられてしまい、絶望的な心境に陥ったためと言われ、

ある意味私小説的な作品と考えられています。

しかしそんなハンディを克服するために、左手の超絶的な技法を身に付けたスクリャービンは、

Op.9の『左手のための2つの小品』で、「左手のコサック」と称される独自のピアノ書法を備えた作品を生み出します。

その後ニーチェの影響を受け、神秘主義的な作風へと傾倒していくのですが、

希のない挫折感を吐露したようなこの曲は、最大の挫折を味わった時期の作品であり、

彼の性格を類推する上で、大変興味深い作品だと思われます。


第1楽章は、悲劇的な運命を予兆させるように、暗い情熱を湛えた音楽で開始されます。
僅かな希が垣間見れる第2楽章を経て、再び情熱をみなぎらせて曲は展開されますが、悲劇はよりはっきりとした形に…。

第2楽章Adagioは、深い憂鬱がたちこめた音楽。時々現れる、僅かな希を感じさせる旋律も弱々しく、ペシミスティックな雰囲気が漂います。

第3楽章では、渾身の力を振り絞ったような力強さも感じさせますが、
所詮は虚しいあがきに過ぎず、最後には弱々しく力尽きてしまいます。

終楽章の葬送行進曲は、生きる希を失った作曲家の心境なのでしょう。
過ぎ去った美しい想い出にすがるしかない、打ちひしがれた青年の心境が髣髴されるような音楽です。
そして最後は、懐かしさに万感の思いを寄せるように、静かに曲は終わります。


正直なところ、陰鬱な気分に陥るために余り聴きたくない曲なのですが、

アシュケナージの演奏からは、完膚なきまでに打ちひしがれた挫折感の中に、ギリギリのところで微かな希がほの見えるように感じられ、

その繊細さに惹かれて、時々聴いているのです。

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