今日エントリーする第1番K.174は、1773年モーツァルト17歳の作品。
当時、彼が親しく交際していたミヒャエル・ハイドン(音楽の父ヨーゼフ・ハイドンの弟)が作曲した弦楽五重奏曲を参考に、勉強を兼ねて作品と推測されています。
彼がこの曲の後に弦楽五重奏の作曲に取り組んだのは、14年後の1787年のこと(第2〜4番)。
そういった事実、及びこの曲の第1楽章が、前年に書かれたディヴェルティメントK.136の第1楽章と酷似していることからも、
弦楽五重奏曲の習作的な作品と評されているようです。
以前聴いていたこの曲の演奏は、アンサンブルが緊密で、音は大変に美しいのですが、遊びが感じられなかったせいか、いまいち好きになれませんでした。
しかし、グリューミオ・トリオ他による演奏を聴くようになってからは、若き日のモーツァルトの作品の持つ味わいが感じられるように思っています。
第1楽章、私もK.136の二番煎じのように思うのですが、
陽の光が雲に遮られるように、非常にしばしば音楽の表情に陰影を生じさせて、曲想を変化させる手法は、
弦楽四重奏曲にヴィオラを追加したこの楽器編成がもたらす効果を試行錯誤しているように思えます…。
後年の第3〜6番の傑作をとりわけ愛好する私には、最初に書かれた弦楽五重奏曲を贔屓目に見るからかもしれませんが…。
第2楽章、このアンサンブルが奏でる音色からは、滴るような緑に包まれ、鳥たちが囀る森の中で、穏やかなまどろみに誘われるような、心地良い気分に浸れるのです。
第3楽章の素朴なメヌエットは、
気心の知れた人達との舞踏を髣髴するような、愉しげな音楽!
一端仕上がった後に手が加えられたという終楽章は、フーガ風の展開が感じられる音楽。
彼が書いたフーガからは、悠久に果てしなく拡がり続けるような推進力を有する、壮大さを感じることが多いのですが、
初期のこの作品からも、そんな片鱗を窺い知ることができます。
14年後に書かれた第3、4番や、最晩年の第5、6番の充実した作品と比較すれば、物足りなさを感じることは事実ですが、
若々しさとともに、後年の後の作品への萌芽が聴き取れるこの作品!
興味深い一曲だと思いました。