最近聴いたCD

ドミトリー・ショスタコーヴィッチ:弦楽四重奏曲第3番 

エマーソン弦楽四重奏団


Wikipediaによると、ショスタコーヴィッチが1936〜1953年の期間に作曲したop.47(交響曲第5番)〜op.92(弦楽四重奏曲第5番)は、

スターリン率いる連政府が強要した、社会主義リアリズムに則って作曲されたもの、

即ち、「人民を教育するために、社会主義を称賛し、革命が勝利に向かって邁進する状況を判り易く描いた作品」と位置付けられています。

そんな彼の姿勢を、体制に迎合したプロパガンダ作曲家と揶揄する意見もあるでしょうが、

少なくともこの時期に該当する作品、とりわけ交響曲や弦楽四重奏曲を、

単なる体制を擁護するだけの希薄な内容のものか、

それともプロパガンダ作品を装いつつ、作曲家自身が真に求める音楽に取り組んだ結果の苦渋に満ちた音楽なのか、

そんなことを考えながら聴くのも、ショスタコーヴィッチの楽しみ方かなと思います。

ちなみに、彼の作曲家人生における社会主義リアリズムの終焉とされる1953年とは、スターリンが死去した年です。


1946年に完成された弦楽四重奏曲第3番は、その前に書かれた交響曲第8、9番と同じ5楽章形式が採られています…。

第1楽章は、スキップを踏むような愉しげな音楽ですが、どこか滑稽さが漂います。やがてその高まりは、狂気の様相を帯びて…。

第2楽章は、杓子定規に時を刻む振り子時計を思わせますが、
心地良く感ずるこのリズムも、やがてシニカルな雰囲気が漂い始めます…。

力強く、熱っぽい疾走感を感じさせる第3楽章…。

慟哭するような悲痛な響きの中から、なぜか美しさが漂よう第4楽章。

そして夢遊病者のような地に足のつかない踊りを思わせる音楽が、
能天気な明るさで疾走する音楽へと変わりますが、
その後激しい慟哭に襲われ、
全ての存在が泡のように消えていくように、
時系列での出来事を象徴するような、やや概念的とも感じられる終楽章!


エマーソン弦楽四重奏団の演奏を、説明的で理屈っぽく感じられると評する方もいらっしゃるようですが、私には大変に明快且つ共感に溢れた演奏と思えます。

この演奏を聴いて、社会主義リアリズムを擁護する音楽と感じる人が、果たしていらっしゃるのでしょうか?

私にはいかにもショスタコーヴィッチらしい、味わいの深い音楽だと感じられるのですが…。

ホームページへ