最近聴いたCD

アドルフ・アダン:バレー『ジゼル』全曲

リチャード・ボニング指揮  コヴェント・ガーデン王立歌劇場管


ロマンティックバレーの最高峰と評される『ジゼル』は、ハインリッヒ・ハイネの『ドイツ論』に紹介されたオーストリアの民話にヒントを得て作られたもの。

民話の内容は、「結婚式を挙げる前に死んだ娘たちは、妖精ウィリーとなって夜中に墓の中から現れ、若々しく美しい姿でダンスを楽しみ、

そこを通りかかった全ての若者を誘惑する。

彼らは休むことを許さずに踊り続けることを要求され、ついには息絶えてしまう…」、そんな幽霊伝説です。

こんな伝説が生まれた背景には、

幸せを夢見て叶えられなかった娘たちの無念さを慮る心と、

「現世で報いられなかった分、せめて死後には楽しい思いをさせてやりたい」との憐憫の情が窺えるようにも思えるのですが…。


バレーの粗筋は、

【第1幕】
村娘ジゼルは、身分を隠して近づいた貴族のアルブレヒトに恋をし、結婚を夢見るが、

ジゼルに恋する村の若者ヒラリオンの画策により、ある無礼とに婚約者のいることが発覚。

ショックを受けたジゼルは狂乱状態となり、母親の腕の中で息絶えてしまいます。

【第2幕】
森の沼の畔の墓場。悲しみと悔悟にくれるアルブレヒトは彼女の墓を訪れ、亡霊となったジゼルと再会する。

ウィリーたちは彼を踊り続けさせて死に追いやろうとするが、

アルブレヒトが最後の力を振り絞って踊っている時に朝の鐘が鳴り、墓へと戻っていく。

ジゼルは朝の光を浴びて、アルブレヒトに別れを告げ、消えていきます…。


尚、アルブレヒトのジゼルへの愛は、戯れのものだったのか、それとも真実の想いだったのかは、ダンサーによって解釈は異なるようですし、

第2幕では、ジゼルがアルブレヒトを他のウィリーから守り、一途な愛を貫くという解釈が、近年の主流となっているそうです。


今日エントリーするこのCD、実は20年以上前に、この有名なバレー音楽を一通り聴き通そうと思って買ったものですが、

当時は、どの部分にも甘美な旋律が流れる変化の乏しい音楽に辟易してしまって、それ以来一度も聴く機会がなかったのですが…。

今回聴いてみると、バレー音楽を熟知したボニングの指揮が絶妙なのでしょう。

曲の美しさと同時に、どの曲を聴いても、舞台で踊られるバレーを想像しながら、2時間を超えるこの曲を楽しむことができました。


この曲は、あくまでも舞台で踊るバレーの補助としての存在以上のものでは、多分ないのでしょう。

例えば第1幕の終曲は、アルブレヒトに裏切られたジゼルが狂乱状態に陥り、母親の腕の中で絶命するクライマックスの場面ですが、

音楽に、それに見合った劇性は伴なっていないと思います。

「踊り手の解釈や表現力によって、評価が大きく左右される音楽」と感じつつも、音のみで楽しませてくれるボニングの指揮には、脱帽です!

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