大戦によって祖国ドイツの街並みや自然が破壊され、自作の初演が行われた劇場や音楽堂が瓦礫の山と化していく中、
古くからの文化や伝統の喪失を悲しみ、惜別を込めて作曲されたと言われています。
私がこの曲を初めて聴いたのは、フルトヴェングラーが第二次大戦後にベルリン・フィルに復帰した年(1947年)のライヴ録音。
20歳代の半ば、録音状態が決して良好とはいえないLPから、凄絶なまでの慟哭と昇華された深い悲しみを聴き取り、大きな感動に目頭が熱くなったこと、今でも鮮明に覚えています。
最後に聴いてから30年近くが経過しましたが、この演奏から受けた同質の感動を求めて聴くために、どの演奏も受け容れられない状態が続いていました。
『ドン・ファン』『死と変容』がカップリングされたドフォナーニ/ウィーン・フィルによるこのディスクは、我家に来てからもう15年以上にはなるはずです。
何度かCDプレーヤーのトレイに載せた筈ですが、求める内容の演奏とは異なるために、途中で取り出した記憶があります。
昨日、ほぼ10年ぶりにこのディスクを取り出し聴き始めたのですが…。
遥か彼方を思い浮かべるように、静かに開始部される冒頭部!
ウィーン・フィルの弦楽奏者たちの奏でる音色からは、神々しさすら感じられる諦観が漂ってきます。
中間部のアジタートは、大変に緻密なアンサンブルで奏されるために、
阿鼻叫喚のような悲痛さは伴わないものの、逆にそのことによって悲しみの深さがひしひしと伝わってきます。
深く、ため息をつくように開始される後半部は、落日に照らされる荒廃した祖国を思い、打ちひしがれた深い慟哭、寂寥感が…。
静謐さの中から深い悲しみが伝わってくる演奏!
時々こんな聴き逃しをしているから、どのディスクも手放すことができずにいます。