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フレデリック・ショパン:幻想ポロネーズOp.61 

ピアノ ウラジミール・ホロヴィッツ 


ショパン(1810-1849)晩年の1845〜6年にかけて作曲された、最後のピアノの大作。

『バルカロール』の時にも触れましたが、晩年のショパンは、健康面では結核に蝕まれて階段を上るのも息苦しいような状態、

精神面では心の支えでもあったサンドとの関係も娘の結婚をめぐって悪化し、心身ともに追い詰められた中で創作されました。

作品自体、形式的には転調が繰り返されるために主調が明確でなく、

かつ内容的には本来のポロネーズが持つ壮大で祝祭的な気分とはほど遠い、絶望の中で僅かな光を求めてもがくような曲想のために、

リストはショパンの精神が尋常でないことを本気で懸念したといわれ、長年にわたって曲の真価が認められるには至りませんでした。

彼の独創性がいかんなく発揮された最高傑作の一つと評価され始めたのは、ショパンの死から100年が経過した20世紀半ば頃に、ルービンシュタインやホロヴィッツによる素晴らしい演奏が登場して以降と言われ、

それを機会に、この曲の刻々と変化する調性を研究する音楽学者が増えたとか!


おそらく200種類近くあるだろうこの曲のディスクの中で、私が聴いたのは30種類にも満たないと思います…。

中には、部分的に大変に共感できる演奏もありましたが、私の聴いた範囲ではホロヴィッツの1982年ロンドン公演でのライヴ録音に尽きると思います。

悲愴かつ瞑想的なこの曲の中に、あらん限りの精神力を持って這い上がろうとするショパンの姿が、時に力強く、時に限りない憧憬を伴なって、感動的に浮かび上がる、比肩するものが見当たらない演奏だと思うからです。


いきなりフォルテで弾かれる音の酷さに、「いまどき、こんな演奏…」と少々驚きはしましたが、
そのあとのアルペジオの美しさ!

全曲を一通り聴いた後で振り返ると、苦悩に揺れ動くショパンの心を表現すべく、ホロヴィッツが意図的に弾いたのではないかと、つい思ってしまいますが…。

二つのポロネーズは、時に自らを鼓舞するように、時に憂愁を含んで、時に華やかに、千変万化していく演奏の妙が…。

レント部に入って、左手の不穏なリズムを刻む動きと、右手の奏でる詠嘆的なコラールの混在が一段落すると、

ショパンが作曲した中でも最高に美しい部分、寂寥とした心境から訥々と語られる主題は、サンドの優しさを希求するショパンの心情の吐露なのでしょうか。

この主題が転調して繰り返され、リタルランドする部分の感動的な美しさは、この演奏最大の聴きどころ!!

コーダは、突進するような力強いアクセントで、渾身の力を振り絞るショパンの姿を目にするようで、いつ聴いても感動で目頭が熱くなる演奏です!

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