フランスの楽譜出版社デュランから、ショパンの練習曲の校訂を依頼されたことがきっかけとなって、病に苛まれて停止していた創作意欲が鼓舞され、書きあげられた作品の一つが『12の練習曲』。
ショパンの『練習曲op.10、25』と同じく、単に並はずれた技巧を要求するだけの曲集ではなく、
音楽的にも深い内容を有するものであることは、申すまでもありません。
この曲集の第1部の6曲を例にとると、
第1曲目から順に「五本の指のための練習曲」「三度のための…」「四度のための…」「六度のための…」「オクターブのための…」「八本の指のための…」と命名されており、
音楽理論とは縁のない素人愛好家にとっては、いかにもとっつきにくそうな曲のように思えます。
しかし『24の前奏曲』『ベルガマスク組曲』『版画』などの表題付きの曲と同じように、
我々の生活の周囲で生じる様々な事象から、五感を通じて得られた印象を、曲にしたものなのでしょう。
いずれの曲からも、これらの作品と同じように、聴き手の想像力が膨らむような豊かな楽想が感じられます。
今日エントリーする内田光子さんの演奏は、曲に標題がない故に先入観を抱くことなく、
他の誰の演奏よりも、自由に詩的なイメージを展開することができるように思えるのです。
ハ長調のド・レ・ミ・ファ・ソ・ファ・ミ・レで杓子定規に開始され、火花が飛び散るごとくに思いっきりクラッシュする第1曲…
恰も清冽な泉を思わせるように、静かに湧きあがるように開始される第2曲冒頭…
エキゾチシズム漂う庭に、月の光が降り注ぐような趣の第3曲等々……。
内田さんはこの曲のライナーノートに、
「前奏曲には、直接に視覚的イメージから生まれた発想がみられる中、エチュード群は、純粋な音楽的概念の追求の結晶が詩に変形したものと思いたい」と書かれています。
ライナーの文章から内田さんの真意を理解することは私にはできませんが、
ドビュッシーの描いた詩的な世界を最も身近に聴き取ることができる、そんな演奏だと感じたことだけは事実です。