交響曲第1番はベートーヴェンが29歳の頃、ハイドンやモーツァルトの作曲技法を学んでいた時期に書かれた最初の交響曲。
とは言え、それまでに既にピアノ協奏曲2曲、ピアノソナタ10曲、弦楽四重奏曲6曲をはじめとして30曲以上を世に問い、中堅作曲家としての地位を確立していました。
古典派の様式に忠実で、中期以降の作品にみられる強い個性こそ未だ見られないものの、
明るく活気に満ちた若々しさ感じられ曲ですが、見栄を切るような激情の迸りも垣間見れて、いかにもベートーヴェンらしい作品に仕上がっています。
クラシックを聴き始めた時から、ベートーヴェンをメインに音楽に親しんできた私ですが、
仕事面で精神的なイライラが募っていた40歳代の後半には、この見栄を切るような表現に、空虚さを感じたことがありました。
たまたまその頃に巡り合ったのが、ガーディナーやジンマン指揮するテンポの速い颯爽としたベートーヴェンの交響曲全集。
ゲルマン魂云々を標榜した演奏とは一線を画した彼らの演奏からは、そんな空虚さを感じることこそありませんでしたが、
嘗てのような特別な感慨を覚えることもなく、
数多あるクラシック音楽のレパートリーの一つとして楽しんでいました…。
昨日この曲をエントリーするにあたって、その当時最も気に入っていたガーディナー盤を改めて聴いたのですが、どこか物足りなさが…。
初期の作品とは言え、一側面のみを捉えただけでは表現し尽くせないベートーヴェンの奥深さを、改めて感じました。
幾つかの演奏を模索した中で「これは最高!!」と確信できたのが、当時はやや大げさに感じられた、クリュィタンス/ベルリン・フィルの演奏でした。
1950年代の後半に録音されたこの演奏は、
フルトヴェングラー(1954年没)から薫陶を得たゲルマン魂の精神が色濃く残るオーケストラと、
クリュイタンスの持ち味であるエレガントさが絶妙にマッチした、
類稀な気高さを有するベートーヴェンだと称賛すると同時に、
最近の華やかで聴き栄えのする演奏を耳にするにつけ、このような味わい深さが乏しくなったことを、残念に思うのです。