最近聴いたCD

セザール・フランク:ピアノ五重奏曲ヘ短調

イザイ弦楽四重奏団  パスカル・ロジェ(P)


セザール・フランク(ベルギー:1822-1890)は、幼い頃からピアノの才能を発揮し、父親の意向からリストのようなピアニストを目指すために、家族とともにフランスに移住。パリ音楽院に入学しましたが、

父親の都合でやむを得ず中途退学したために、

当時の作曲家の登龍門であったローマ大賞に応募するために必要な教師の推薦が得られず、

それが原因で、長年にわたり彼の昨品は過小評価され続けました。

そんなこともあってか、若き頃の一時期に作曲に従事した後は、ピアノ教師や教会オルガニストとしての道を選び、

作曲家としては現役を引退したと思われるほどに、目立たぬ、慎ましやかな生活を送っていたと言われています。


ところが1878〜9年にかけて書かれたこのピアノ五重奏曲が、完成された翌年に初演された時、

作品の有する豊かな表現力と感動的なまでの激しさに、多くの聴衆は戸惑い、衝撃を受けたと言われています。

フランクの創造力を刺戟した原因については、1876年に彼の弟子となった25歳年下の女性に対し恋心を抱いたことが、その発端だったと言われており、

状況を察知した妻からは、この作品に対する激しい嫌悪の言葉を浴びせられたそうです。


嘗て、フランクに謹厳実直な宗教家としての一面的なイメージを抱いていた頃には、宗教的な瞑想を思わせる雰囲気の中に憧れや陶酔感を聴き取り、「これが法悦の境地なのか!」と思っておりました…。

噂の真偽はともかくとして、今日エントリーするイザイ弦楽四重奏団とパスカル・ロジェのピアノで聴くこの曲には、叶わぬ恋への諦観に満ちた、燃えるような憧れが感じられてしまいます…。


この作品の初演がきっかけになって、彼の作品への評価は高まりましたが、

そのこと以上に重要なのは、代表作と評される『前奏曲、コラールとフーガ』『ヴァイオリン・ソナタ』『交響曲』『弦楽四重奏曲』などは、全てこれ以降に書かれた作品。

50歳代後半になって芽生えた異性への憧れが、フランクを大器晩成型の作曲家として蘇らせたのでしょうか!

ホームページへ