物語の粗筋ですが、
遊女タイスは、修道士アタナエルの真摯な説得により享楽楽的な生活を捨て、信仰に生きる道を選びましたが、不幸にも病の床に臥してしまいます。
ところが、タイスを導いているうちに、いつしか彼女の虜になっってしまったアタナエルは、
修道士としての道にそむき、彼女のもとに駆けつけますが、
尼僧として臨終の床に就く彼女には、彼の愛の告白を受け容れることができず、
修道士アタナエルの導きに感謝をしつつ、神に召されていくという、精神と肉体の葛藤を描いた作品です。
有名な『タイスの瞑想曲』は、第2幕第1場〜2場への場面転換に使われる音楽で、
アタナエルの説得に心を動かされたタイスが、これまでの人生を振り返り、自らの生きる道に思い悩みつつも、改悛を決意していく姿を表現したもの。
曲の前半部は、アタナエルの言葉に心を動かされたタイスが、思いに耽る様子を、
中間部では、肉欲と信仰への葛藤で思い悩むこころを、
そして後半は、信仰への途に心の安らぎを見出すようすを描いているといわれています。
敬虔かつ甘美なメロディは、アンコールピースとしても広く知られた名曲ですが、
オリジナルは、オーケストラと独奏ヴァイオリン、それに合唱が加わった編成で演奏されます。
今日は、通俗名曲といわれる作品においてもいっさい手を抜かず、素晴らしい演奏を聴かせてくれるカラヤンの演奏をエントリーします。
カラヤンはこの曲を何度か録音しているようですが、私が聴いたのは、1967年と1981年に録音されたベルリンフィルとの二種類の演奏!
1981年盤は、当時18歳だったアンネ=ゾフィー・ムターをソリストに起用して、清純なタイス像を描いた美しく神々しいまでの演奏です。
今日のエントリーするのは1967年盤は、
コンサートマスターのミシェル・シュヴァルベのバイオリン独奏によって、官能的なまでのタイス像を、より劇的に表現した演奏です。
特筆すべきは、こういった小品においても、ソリストの資質に応じて曲の表現を多様に解釈しうるカラヤンの指揮ぶり。
優柔不断との批判も聞かれそうですが、どちらも極めて完成度の高い、素晴らしい音楽だと思います。