彼自身この作品について、「全世界のプロレタリアートが連帯するメーデーの雰囲気を伝え、ソヴィエト連邦の平和なる建設を表現せんとした」と述べているそうです(以上Wikipediaより)。
第2番と同じく単一楽章で構成されるこの曲、
冒頭クラリネットが奏する旋律は、ショスタコーヴィッチの交響曲としては珍しく、春まだ浅き5月1日(メーデー)の朝の、のどかな不雰囲気が描写されているように感じられます。
それに続きトランペットが奏でる意気揚々とした旋律、そしてクレッシェンドしてアレグロへと突入するしていく前半部は、希望や歓喜に満ちた音楽。
それらが静まると、やがて夢見るような平和で穏やかな世界の訪れ…。
内容の充実した、心から感動できる素晴らしいアダージョだと思います!
再び希望や歓喜に溢れた音楽が始まりますが、やがてそれも鎮まり、
ラルゴで奏でられる音楽は、抑圧を象徴するかのような重苦しいもの。
ただ、その中から聞こえる低弦やチューバの奏する蠢くような動機からは、
相容れぬ意見を有する人に対しては、蔑むように「ナンセンス!」という罵声を浴びせ、容赦なく相手を断罪する革命家に対する、
ショッスタコーヴィッチの冷ややかな視線を感じるのです…。
今一つ評判の芳しくないこの交響曲ですが、
革命に対する批判を抱きつつも、変革後の社会に対する大きな期待を抱いたであろう若き日の作曲家の、感性の迸りを感じるのです。
ただ、最後のメーデーの合唱の、取って付けたような陳腐さ…。
革命後の社会に対する疑心暗鬼を、皮肉を込めて賛歌という形で表現したのか、
やはり体制支援を標榜した、単なるプロパガンダ作品なのか…。
どちらにしても、後半の合唱部分を除けば、音楽は素晴らしいと思うのです…。
ハイティンクの演奏は、そういった含蓄のあるものだと、私には思えます。