カトリックのミサで使われる式文(キリスト教会の礼拝で、司式者や会衆が唱えたり歌ったりするために定められた文章)には、年間を通して変わらない通常文と、日によって異なる固有文とがあり、
ミサ曲には、通常文中にあるキリエ(神に憐みを求める祈り)、グロリア(神の栄光を称える賛歌)、クレド(信仰の告白)、サンクトス(神への感謝の賛歌)、アニュスディ(平和を求める祈り)が使われるという約束事が、出来上がっています。
ですからシューベルトの6曲のミサ曲も、全く同じテキストを基にして書かれているわけですが、
中でも死の年に書かれた第6番は、その儚い美しさの中には、余りにも若くして死と対峙したシューベルトの、苦悩や叫びすら秘められた、極めて人間的な音楽だと感じられるのです。
第1曲キリエは、厳粛かつ静謐になオケの響きで開始され、すぐに彼岸への憧れを込めたような旋律が歌われる、清らかな美しさに満ちた音楽です…。
いきなりアカペラで開始される第2曲グロリアは、下界から天上へと飛翔するように奏されるヴァイオリンによって、一気に高みへと到達する印象的な音楽ですし、
中間部「感謝し奉る」と歌われる部分では、清純無垢な美しい旋律が聴かれるのですが…
しかし同じグロリアでも、第2部に入ると一転して、不安や悲痛さが込められた、凄まじいばかりの魂の叫びのような音楽へと変化します…。
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終曲のアニュスディでは、「我等を憐れみたまえ」と歌われる不安・絶望を感じさせる悲痛さと、「平和を与えたまえ」のひと時の安らぎが入り混じる、祈りのような音楽…。
古典時代以降、ミサの形式は踏襲されつつも、必ずしも教会で用いられるために作曲されたものばかりではなく、
一般の演奏会を念頭に置いて作られた作品も多いと言われますが、
この第6番などは、シューベルトの赤裸々な感情が込められた、おそらく後者に属する作品だと思います。
この曲の美しさを初めて感じさせてくれたのが、ジュリーニ/バイエルン放響の演奏でした。
ただ、劇的な感情の起伏が極力抑制された、ひたすら真摯に徹した演奏であるために、息詰まるような重苦しさに支配される思いは否定できません。
しかし、これがシューベルトが曲に託した真意ではないかと、ふと思ってしまいます…。