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ドヴォルザーク:交響詩『金の紡ぎ車』 

ズデニェック・コシュラー指揮
  スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団


ドヴォルザーク(1841-1904)は、交響曲第9番『新世界』を始めとする多大な音楽的成果をもたらしたアメリカでの生活を終えて帰国した後は、

リストや先輩スメタナの影響を受けて、交響曲よりも形式の自由な交響詩の作曲にに取り組み、

祖国の詩人カレル・ヤロミール・エルベンが、民間伝説や民話に基ずいて編纂した詩集『花束』を題材にして、ボヘミア情緒を盛り込んだ4つの作品を完成しました。


『金の紡ぎ車』はその中の一曲で、詩の内容は、

国王から下の娘を妻にしたいと要求された継母が、実の娘である姉を嫁がせようと下の娘を殺害し、身元を判らなくするために胴体から目と手足を切り離して隠し持っていたが、

胴体を発見した森に棲む隠者が、金の紡ぎ車と引き換えに切断された目や手足を要求したために、欲に駆られて母娘はそれに応じます。

ところが王に命じられてその紡ぎ車で糸を紡ぐ時に出る音が、母娘の悪事を暴く歌として聞こえたために、彼女らの悪事は露呈し、

国王から城を追われた母娘は、森の中を彷徨ううちに狼に出遭って食い殺され、自分達が殺害した娘と同じ姿に…。

一方母姉によって殺害された娘は、隠者の手で元の姿によみがえり、あらためて王の妃として迎え入れられてハッピーエンドで終わるのですが、少々残酷な物語ではあります!


演奏時間は25分を優に超える長大な曲ですが、凄惨な場面は、僅かに不気味さを感じさせる音楽としてさらっと触れられるに過ぎません。

後は曲の後半部に紡ぎ車の回る様子を描写しつつ、母娘の暴く場面での緊迫感が感じられるのみ。

曲の大部分は、いかにも物語然とした王様を思わせる行進曲風の音楽や、

国王と娘の出会いを思わせるロマンティックな旋律、そしてボヘミアの自然を描写したような郷愁豊かな旋律や舞曲が、そこかしこに散りばめられた音楽です。


例えば、クーベリック/ベルリン・フィルの表情の豊かな演奏からは、ふとアニメ映画を見るような判り易さを感じるのですが、

エルベンの詩の劇的な展開や、罪の大きさによって相応の罰を受けるという教訓的な内容を殆ど意識することなく、聴き終えてしまいます。

しかし、詩の粗筋を知った上で聴くズデニェック・コシュラー/スロヴァキア・フィルの演奏から、具体的な詩の内容が思い浮かぶわけではありませんが、

ボヘミアの野に展開される様々な情景が次々と髣髴されつつ、そこで培われた物語の歴史が連想されるように感じるのです。

安易には使いたくない言葉なのですが、“本場の指揮者とオーケストラ”の演奏が持つ味わいなのかと、ふと考えました…。

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