最近聴いたCD

スメタナ:連作交響詩『我が祖国』全曲 

ラファエロ・クーベリック指揮  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


チェコ国民音楽の記念碑的作品を創作しようと考えた作曲家スメタナ(1824-1884)によって、1874〜1879年に作られた6つの交響詩からなる作品。

交響詩は当時馴染みの薄いジャンルであったために、楽曲の意図を理解されるように スメタナ自身が解説を書き 、さらに楽譜の各箇所にも注釈が記されているそうです。

作曲者の念願がかない、この曲は1946年からチェコフィルが主催する“プラハの春音楽祭”のオープニング曲として、現在に至るまで演奏され続けています。


その記念すべき第1回の指揮にあたったのが、当時の首席指揮者だったクーベリック…。

祖国の共産主義化に反対し、1948年に西側に亡命した彼は、それ以降祖国の土を踏むことなく、1986年にバイエルン放送交響楽団の常任を最後に引退しました。

しかし1989年に、チェコの共産主義体制が崩壊したことを機に、強く請われて翌年の『プラハの春』のオープニングで、42年振りに祖国に戻ってこの曲を指揮しました。

この時の演奏はライヴ録音されており、記念碑的な名演として、今も熱く語り継がれるています…。


今日エントリーするのは、そんなクーベリックが44歳の時の1958年にウィーン・フィルを指揮した演奏です。

クーベリックの演奏では、1971年のボストン交響楽団との演奏が、知情意のバランスのとれた素晴らしい名演との評価が高く、私にも異論はないのですが、

ウィーン・フィルとの演奏では、他のどの演奏よりも祖国ボヘミアの自然の情景が、随所でさりげなく印象的に表現されており、より感動的な音楽と感じられるからです。


例えば第1曲“高い城”での、遥か遠方で轟く雷鳴を思わせるティンパニーの響きからは、さびれた城址に佇み、古の栄華を語る吟遊詩人の語りにいっそうの物悲しさが…

第2曲、 とうとうと流れる“モルダウ”の美しい旋律には、水辺にひたひたと打ち寄せる波の音が…

第3曲“シャルカ”の中間部では、恋する男の裏切られ復讐の鬼と化したシャルカの、妖艶な一面が実に魅惑的に表現されています…。

第4曲“ボヘミアの森と草原”での、自然の中に佇み感じるメランコリーな気分と、そこかしこで草原を分けるように吹く(日本でいう)野分のような情景が目に浮かぶようで…

第6曲“ブラニーク”の間奏曲風の中間部では、スメタナの幼き日の思い出につながら、山里ののどかな風景が…。


母国の歴史に誇りを抱き、それを懐かしむ演奏!過剰な気持の高揚はありませんが、クーベリックの滋味深さが味わえる名演だと思います。

ホームページへ