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J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番 BWV1001 

ヴァイオリン:イツァーク・パールマン


3曲づつのソナタとパルティータで構成された無伴奏ヴァイオリンのためのこの曲集は、ヴァイオリン独奏曲の代表的名作といわれるもの。

残された自筆譜(清書されたもの)には1720年と記されているそうですが、

草稿が残されていないために、それぞれがいつ頃、何の目的で作曲されたのかは分かっていません。

『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』が、ヴァイオリニストとって屈指の難曲と評されるのは、技巧的に高度のテクニックが要求されるだけでなく、それを駆使した上で、曲が内包する密度の高い音楽性を描き切る必要があるためと言われています。

この曲集を技巧的に破綻なく演奏されることもさることながら、そのこと以上に、音楽的に高い完成度で演奏していると認められることが、とりもなおさずヴァイオリニストとしての評価に直結していること、しばしば感じます。


『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』に関する演奏評は、全集をまとめて評価されることが大部分ですが、今日はソナタ第1番に関して触れたいと思います…。

と言いますのは、パールマンの全集中におけるこの曲の演奏は、恰も自然と人との率直で伸びやかな対話を感じさせるもので、この曲想には大変に相応しいと思えるからです。

第1楽章での伸びやかな演奏は、透明な虚空に解き放された魂のように、悠久への拡がりが感じられますし、

第2楽章のフーガにおいては、大自然に解き放たれた、神と人との対話のような音楽と感じます。

第3楽章での、各声部の伸びやかなですが、繊細さも感じられる語りの妙、

そして、のびのびとして屈託のない第4楽章の闊達さ!

曲の格調を失うことなく、このように美しく、活き活きと演奏された無伴奏も、捨てがたいものだと思うのです。


定評のあるシェリングの演奏は、宗教的な格調の高さが感じられ、

自在な緩急強弱や微妙なニュアンスの表現からは、人間の魂の告白を聴くようで、全く文句のつけようのない素晴らしいものなのですが、

そのことには目をつぶって、この曲に関しては、パールマンの演奏をエントリーすることにしました。

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