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バルトーク:弦楽のためのディヴェルティメント

サー・ゲォルグ・ショルティ指揮  シカゴ交響楽団


1939年、友人の指揮者ザッハーの招きで訪れたスイスの山荘で、僅か2週間ほどの期間に作曲されたもので、彼の創作最盛期の最後を飾る名作と評される代表作。

昔から名盤の誉れ高い、ライナー/シカゴ交響楽団の演奏を聴かずに印象を語ることは片手落ちなのかもしれませんが…

しかし、ハンガリーに生まれ、リスト音楽院でコダーイやバルトーク等の薫陶を受けたショルティ指揮するシカゴ交響楽団の演奏と、

フランス生まれで、今もフランスを拠点として作曲家や指揮者として活躍するブーレーズが、僅か数年の時を隔てて同じ楽団を振ったこの曲を聴き比べると、

どちらも素晴らしい演奏と感動した私にとっては、その好対照な曲の表現に、すごく惹かれるのです。


この曲に親しみを感じたのは、初めてブーレーズの演奏を聴いた時。

全3楽章の随所で登場する民謡風の旋律が、それまでに聴いたどの演奏よりも明快に表現されているように思われて、

そのおかげで、ハンガリー農民の素朴さや、

ジプシー風の旋律から聴き取れる熱い情熱、

そして穏やかな園風景までもが、具体的に想像できたからでした。

ブーレーズの演奏でよく指摘される、解説的な冷たい演奏と思ったことなど、バルトークに関しては一度もありませんでした。


それ以前に聴いていたショルティの演奏からは、

漠然と熱いマジャール民族の血と、内在するエネルギーを感じはするものの、

それらは、必ずしも曲への共感とは結ぶ付かないものでした。

ところが、ブーレーズの演奏を体験した後に聴いたこの演奏は、

以前とは印象が一転して、感覚的な経験を超越した途方もないエネルギーが感じられ、

共感すると同時に、大きな感動を受けました。

とりわけ第二楽章での、美しい静寂の中から、中間部で築かれるクライマックスでの噴出するエネルギーには、心の底からの感動に酔いしれます。


どちらの演奏も、世界的に高い評価を得ているようですが、

ハンガリーの指揮者イヴァン・フィッシャーは、「ブーレーズの表現は、正しいハンガリー語ではない」と評したとか…。

バルトークの意図したフレージングとは異なっているとの指摘なのでしょう。

私にはその辺の微妙なニュアンスの違いを聴き分けることもできないし、正否を云々することもできませんが、

それがまかり通ると、本場物偏重に陥るのかもしれません。

正しい表現を聴き分けたいとは思いつつも…。

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