これらの作品には、内向的な性格で、気持ちを素直に表現できなかった作曲家の晩年の心境が、吐露されていると言われています。
ブラームスの作品を考察する場合に、クララの存在を抜きに考えることはできないほどの重要な女性ですが、晩年のピアノ小品の何曲かにも、彼女への思いが込められていると考えても、間違いではないでしょう。
これらのピアノ曲集、若い頃は好きではありませんでした。
当時は、20世紀前半から中頃にかけて活躍したドイツの巨匠と言われたピアニストで聴いていましたが、地味で難渋としか思えませんでした。
ところが、今から17〜18年前、ほぼ同時期に相次いで発売されたアファナシェフとポゴレリッチのCDを聴いて、これら作品のもつ情趣や哀感が、身に沁みるほど感じられるようになりました。
op.117の第1曲は、スコットランドの子守唄がテキストに用いられているとのこと。朴訥とした音楽ですが、この旋律には、言葉に出して告白することが出来ない、いとおしい人への思いの深さが込められた、味わいの深い名曲だと思うのです。
第2曲は、春の夜に見る夢のような、儚ない美しさをたたえた音楽です。中間部の心の落ち着きも、最初の主題が再現されることによって、心に迷いが生じて、もののあわれを感じさせるようで…。
第3曲もまた、クララへの想いが吐露されている曲だと考えると、タブーという道義心に抑圧された不安定な感情が募っていく、そんな音楽と聴き取ることも可能だと思います。
『3つの間奏曲』でのポゴレリッチの演奏は、晩年における枯淡の境地とは一線を画し、内面の燃えるような感情を表出した、若々しさすら感じられる素晴らしい演奏だと思います。
ただ、彼やアファナシェフの演奏でこの曲の素晴らしさが理解できたお蔭で、嘗ては難渋に感じていたケンプの演奏に、悟りにも似た諦観を感じられるようになったことも、申し添えておきます。