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ベートーヴェン:ピアノソナタ第15番『田園』

ピアノ:ルドルフ・ゼルキン


曲名の由来は、ベートーヴェンの死後に、出版社によって命名されたもので、曲の内容とは直接関係はなさそうですが、

私はこの曲を聴くと、フランス自然派の画家ミレーの『晩鐘』や『落ち穂拾い』に描かれている田園風景を想像しますので、「うまいネーミングだ!」と思っています…。

初めて全曲を通して聴いた時から、具体的な記憶として思い出すことはできなかったものの、ほのぼのとした懐かしさを覚えたものでした。

それは今になって思えば、ビジネスであれプライヴェートであれ、100%は満たされなくとも、おおむね順風満帆にことが進んでいる時に抱くことができる、ささやかな喜びだったと思うのです。

第1楽章は、全体を穏やかさが支配する音楽で、聴き手によってイメージすることは様々でしょうが、私は前述したように、ミレーの描く穏やかな田園の風景を思い浮かべます。
特に、展開部が終了して、再現部に入る手前のピアノの静かな打鍵が、遠くから聞こえる鐘の音の余韻のように、静かな感動を呼び起こします…。

第2楽章は、今にも手の届きそうな幸せと、紙一重隔てて同居する漠然とした不安が同居して、青年期特有の甘酸っぱさが感じられる音楽。
湧きあがる喜びを感じつつも、一抹の不安に心をふるわせる、切ないほどの繊細な美しさ…。

第4楽章では、何かが成就して、つましいながらも心の底から喜びがにじみ出るような幸福感に満ちた舞曲は、感謝に満ちた敬虔さが感じられます。

曲が完成したのは、難聴に悩みつつ『ハイリゲンシュタットの遺書』を書く前年の1801年。
この曲の表現のつましさに、病に悩む作曲家の気弱な心を感じてしまうのは私だけでしょうか…。

曲の自然な息づかいから、瑞々しい情緒が感じられるブレンデル三度目の録音を聴いて、この曲の素晴らしさを認識しました。今でも時々取り出して聴く名演奏ですが、

遅めのテンポで曲を慈しむようなギレリスの演奏は、この曲の持つ真摯さをより強く表現した、格調の高さを有する、素晴らしいものだと思います。

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