最近聴いたCD

ドビュッシー:前奏曲集第1巻

ピアノ:ミシェル・ベロフ


朝からカッと晴れて、暑い一日になりそうですが、浅間山の方向からは、結構涼しい風が吹いています。

朝食が終わって机の前に座っていると、開け放った窓から入ってくる風の心地好さに、小学生時代の、夏休みに入ったばかりの解放された気持ちが蘇ってきました。

私の小学生時代の夏休みの予定は、毎年変わらず、始まった早々の日曜日には、親父に連れられて日帰りの海水浴に出かけ、あとは甲子園球場に阪神vs巨人戦を一度見に行って、おしまい!

後は学校のプールで泳ぐか、ひたすら虫取り網を持って近所の空き地や神社の境内を走り回っていました。

セミの鳴き声を始め、この時期の自然の営みに格別な懐かしさを感じるのは、他の季節とは比べ物にならないくらい、濃密に触れ合っていたからなのでしょうね。

毎年今頃の季節になると、涼風に触れながら、繊細な自然の機微にも通じるドビュッシーの音楽を聴きたくなるのは、そんなせいかもしれません。

この曲集は、それぞれに題名が付けられた12の小曲から構成されていますが、あくまでも曲を理解するための参考程度にすべきもので、

題名に呪縛されて聴くと、逆に演奏を楽しめなくなりそうです。

例えば「海底深く沈んだ伝説上の寺院が、徐々に海面に姿を現わす」と解説されている、第10曲の有名な“沈める寺”

伝説上の物語の荒唐無稽さに期待しながらベロフの演奏を聴くと、私は違和感を抱いてしまいます。

勿論、感じ方は十人十色でしょうが、「山奥に佇む寺院が、深い霧が晴れるにしたがってその姿を現す」と想像して、この曲の劇的な神秘さを楽しんでいます。

ベロフの演奏を好む理由は、ドビュッシーが表現した繊細な音の世界を、誰よりも具象化しやすく聴かせてくれると思うからです。

大変に世評の高いミケランジェリの弾くドビュッシーは、演奏が完璧なためか、想像の入り込む余地がなく、音をそのままの形でしか捉えることができないために、かえって聴き辛い演奏と感じてしまいます…。

いずれは理解できるようになりたい、と思っていますが…。

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