スクリャービンの前期(op.2-1、op.8-5,11)・中期(op.42-2〜6,8)・後期(op.65-1〜3)の12曲が、休みなしで演奏されているのですが、
会場のノイズも盛大に混じっていて、音質的に満足のできるものではありません。
にもかかわらず、連続して聴いていると、ブランデーグラスを傾けながら、それぞれの人々が語るそれぞれの人生模様に聴き入るような、そんなセレブな気持に浸りながら、曲を聴き終えることができました…。
スクリャービンの初期の作品には、後期ロマン派の影響が色濃く反映されていると言われています。
そんなためか、初期の曲からは、切なさや無常観が聴き取れて、以前から私の好きなレパートリーだったのですが…
ところが、神秘主義に傾倒していく中期の作品以降については、正直申し上げて、私には理解不能な音楽と映っていました…
しかし今日、リヒテルのコンサートの流れの中で聴くこれらの練習曲から、初めて前述したような感慨を覚えることができたのです。
彼の演奏には、ロマン的な要素が強く表現されているせいかもしれません。
表題の嬰ハ短調0p.2-1は、日本映画の名作、『砂の器』に使われた音楽でもあり、以前から好きな曲でもありましたが…
逆にop.65-1〜3などは、何が表現されているのかさっぱりわからず、聴く気にもなれない作品でした。
ところが、このディスクで聴くリヒテルの演奏からは、
一瞬華やかに燃え上がり、すぐに消えていく線香花火を観て我々が感じるような、人それぞれの人生が、曲に映し出されているように思えました。
最近、CD一枚当たりの価格が信じられないほど安い、全集もののboxセットが発売され、私もそんな中から選んで、聴くことが多くなりましたが…、
演奏家が自らプログラミングしたものを聴くことの必要性を、つくづく感じた次第です。