最近の古楽器による演奏も含めて、実に多様な解釈に基づく演奏を聴くことができます。
そんな中で最も印象に残っているのが、ワルター/ニューヨーク・フィルのディスク(1954年録音)です。
冒頭から力のみなぎった演奏なのですが、それは外部に向けられた力感ではなくって、むしろ内部に向かって、音楽の推進力を抑制するような力と感じられます。
しかし、冒頭で感じられたそんな抑制力は、序奏部が進むにつれて刻々と変化する表情に伴って和らぎが感じられるように変化していくために…
主部に入ってAllegroで奏される第1主題が、今までに聴いたどの演奏よりも、生き生きとした喜ばしい音楽と感じられます。
そして第1主題終了部での、自然な、しかし絶妙の呼吸によって導かれる第2主題は、思わず涙腺が緩むような美しさを感じてしまいます。
第2楽章はト長調で書かれているそうですが、悲しみを負ってさまよいながら、ふと立ち止まってふりかえる、そんな心の逍遙を思わせる、美しく、はかない演奏です。
そんな第2楽章のはかなさが、快活に疾走する第3楽章に、何らかの影を落としているように思えてしまいます。
ワルターのこの曲の演奏を聴いていると、モーツァルトにはなぜ短調の作品が少なかったのか、分かるような気がします…。
日本だけのことなのか、或いは世界的な評価だったのかは定かではないのですが、私が音楽を聴き始めた1960年頃には、彼はトスカニーニ、フルトヴェングラーと並んで、“世界三大指揮者”の一人と評価されていました。
ただ、彼の演奏の特徴は穏やかさにあるとされ、
モーツァルトやハイドンの古典派、
ベートーヴェンの偶数番号の交響曲、
ロマン派ではシューベルト、ブラームス、マーラー等…
当時としては比較的地味なレパートリーが評価されていたために、
それほど興味を惹かれた指揮者ではありませんでした。
先日、本当に久しぶりに聴いて、忘れかけていたこの指揮者の偉大さを、再認識した次第です。