三大交響曲と言えば、“運命”“未完成”“新世界”というように…。
三大ヴァイオリン協奏曲といえば、“ベートーヴェン”“ブラームス (orチャイコフスキー)”そしてもう一曲が、“メンデルスゾーン”の作品でした。
私も中学生時代には、ハイフェッツのヴァイオリンで、チャイコフスキーとメンデルスゾーンの2つの名曲がカップリングされたLP盤を買って、何度も聴いたものでした。
とはいっても、その頃メンデルスゾーンで好きだったのは第1楽章の第1主題だけ。
冒頭部分こそ繰り返し何度も聴きましたが、ミュンシュ/ボストン響の熱気溢れる演奏が、当時の私にはしんどく感じられて、第2主題が登場すると、レコード盤から針をおろすのが常でした。
恐ろしいもので、いつの間にかそんな習慣が私に刷り込まれてしまったようで、この曲を誰の演奏で聴いても、第2主題が登場すると、心は音楽から離れていくようになってしまいました。
決して嫌いな曲ではないのです。
第1楽章第1主題はもちろんですが、第2楽章や第3楽章だけを切り離して単独で聴くと、「いい曲だなぁ!」としみじみ思うのですが…。
全曲を通して聴けるようになったのは、本当に最近になってからのことです。
ヴァイオリン独奏は、録音当時はまだ18歳だったムター。カラヤン/ベルリン・フィルによるCDを聴いた時でした。
冒頭、遅めのテンポで開始された前奏部に続いて奏でられるムターのヴァイオリンを聴いて、感情が抑制された美しいメンデルスゾーンの世界にすんなりと惹き込まれました。
「いい演奏だなぁ!」と感じ入っているうちに、いつの間にやら第1楽章が終わり、ふと気がつくと、第2楽章への導入部のファゴットの持続音が奏されていたのです。
カラヤンの指揮で全曲を通して聴いて、感情を抑制して奏された時のこの曲の美しさを知って、初めて感動することができました。
それから後は、誰の演奏を聴いても、これまでの難関だった第1楽章第2主題に耳を傾けるようになったのは、実に不思議なことですが…。