しかしそんな経緯は顧みられないのか、多くの指揮者はこの曲をスペクタクルに演奏し、我々もそうした演奏を好み、かつ満足してきたことも事実です。
それは、作曲者の意図とは異なっているのかも知れませんが、スコアとして出版された時点から、演奏家ひいては聴衆の感性に委ねられるわけですから…。
それよりも、多くの人々に親しまれているという事実は、作品に人を惹き付ける力があるのだと考えて、差し支えないでしょう…。
『惑星』というタイトルが人々の興味を惹くこともあり、SP時代の作曲者による自作自演盤を皮切りに、実に80種類を超えるディスクが発売されているそうです。
そのうち、私が聴いた記憶のある演奏は、せいぜい10種類ちょっと。
しかも、この曲の初演者でもあり、5度も録音を重ねている権威者ボールトの演奏すら、一度も聴いていないことをお断りした上で…。
スペクタクルな演奏と言えば、私が聴いた範囲では、レヴァイン/シカゴ交響楽団の演奏が飛び抜けたものと感じています。
私自身は、録音の良否で印象を左右されないように聴いているつもりですが、これは別格の優秀録音に支えられ、演奏自体も素晴らしいものだと思います。
第1曲“火星(戦争をもたらすもの)”の凄ましい突進力…
第5曲“土星(老いをもたらすもの)”での、死への恐怖が煽られるような鐘の乱打…
第6曲“天王星(魔術師)”での荒れ狂う土俗的なリズム…
聴く度に、サスペンスを味わうような、胸のすく演奏でもあります。
もう一枚、大変に強いインパクトを受けたのが、ラトル/ベルリン・フィルの演奏でした。
この演奏は、冒頭に書いた占星術云々と関連するのか、神秘的とも思える演奏です。
特に、第2曲“金星(平和をもたらすもの)”第5曲“土星”第7曲“海王星(神秘主義者)”での、空間に漂う神秘的な静謐さは特筆もの!
レヴァイン盤の痛快さに感服しながらも、ラトル盤の聴き込むほどに味わいが深まる、そんな魅力に惹かれます。
ところで、このラトル盤には、マシューズ作曲の“冥王星”が収録されていますが、これ以上行き場のない、地獄の果てを想わせるような曲…。
果てしなき拡がりが連想される海王星から推して、惑星の終曲にこういった曲が書かれるとは、とても思えません。
作曲された当時、仮に冥王星の存在が確認されていれば、今の“海王星”が“冥王星”と名付けられたと思うのです。
そして、趣向が異なる曲がもう一つ加わって、全8曲からなる『惑星』を、一層楽しめたかもしれませんね…。