最近聴いたCD

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番

チェロ:ロストロポーヴィッチ


先日、我家にあるロストロポーヴィッチの無伴奏チェロ組曲全集中から第2番を聴きました。

冒頭のプレリュードから以前のイメージとは大きく異なって、感情は抑制されていますが、のびやかな音色で奏されており、思わず惹き込まれてしまいました。

彼による無伴奏チェロ組曲の全曲演奏は、「満を持して…」との鳴り物入りで1992年に録音され、発売されると同時に買ったディスクですから、初めて聴いてから15年にはなるでしょう。

それ以来、何度か聴いたはずだったのですが、今回のような感動を抱いたのは初めてでした。

発売された当初から批評家や一般愛好家の評価は、期待が大きかった割には、決して好意的なものではありませんでした。

その原因は、主として彼の技巧の衰えによるものと指摘され、「全盛期に録音されていれば、もっと違った結果が出ていただろうに…」と惜しむ声も、少なからずあったように思います。

カザルス盤を至高のものと信じ、録音の良いマイスキーの旧盤にすっかり馴染んでいた当時の私にも、期待の新盤は曲への思い入れが空回りした、ぎくしゃくとした演奏と感じられました。

3〜4年前に聴いた時も、そんな印象は変わっていなかったのですが…。

ところが、今回聴いた印象は、冒頭に書いた通りで、心と技が見事に一体化した演奏と感じられたのです。

ディスクや再生装置は、以前と変わっていませんから、同じ音を聴いているはずなのに、全く正反対とも言える印象を受けたことに、正直なところ戸惑ってしまいました。

それにしても、わずか数年で、何故百八十度異なる印象を持つに至ったのか、まるで見当がつかないのですが、ここは素直に「私の感性が、良い方に変化したため」ということにしておきます。

氏は、阪神淡路大震災の直後のTV放映されたコンサートで、アンコール曲として、犠牲となられた方の追悼のために第4曲サラバンドを演奏されましたが、あの時の深い祈りのような演奏を記憶されている方も、多数いらっしゃることでしょう。

このディスクで聴く演奏からは、さすがにそこまで具体化された痛切な感情表現を聴き取ることは出来ませんが、全曲中に“悲しみと祈り”を表現した、普遍性を持つ名演奏だと思えるのです。。

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