最近聴いたCD

ベートーヴェン:ピアノソナタ第14番『月光』

ピアノ:A.ブレンデル


日本では、第二次世界大戦前に『月光の曲』という架空の物語として、曲が作られた背景が小学校の教科書に掲載されたり…

私が音楽に興味を持ち始めた頃には、“月の光に輝くルツェルン湖の水面に揺れる小舟のような…”と、詩情を掻き立てるような曲の解説がなされていたり…

昔から楽聖ベートーヴェンの代表作として広く世に紹介され、音楽に興味のない人にも、名前だけは知れわたっていた曲でした。

私が初めてこの曲を聴いたのは、バックハウスのステレオ録音。

日本では“鍵盤上の獅子王”と呼ばれて、当時は「彼の演奏を聴かずして、ベートーヴェンを語るなかれ」とまで言われたほどの高い評価を得ていた、20世紀前半から中盤にかけて活躍した大ピアニスト。その名声に惹かれて買ったディスクです。

彼の演奏する『月光』は、ロマンティックな印象はさらさらありませんし、気持ちが高揚するとか、固唾を飲んで聴き入るといったこともなく、むしろ淡々とした滋味深い演奏と感じられて、それを味わいながら聴いていたように思います。

その後、コンサートやディスクを通じて様々なピアニストの演奏に接しましたが、バックハウスの演奏が、私の刷り込みになってしまったのか、他の演奏を聴くと、感情表現が恣意的で不自然に感じられて、なかなか馴染むことができませんでした。

バックハウスのベートーヴェンピアノソナタ全集がCD化された時に、躊躇することなく購入したのは、そんな体験から、彼の弾くベートーヴェンが悪かろうはずがないと信じていたからです。

その全集の中から、ほぼ20年ぶりに聴いた『月光ソナタ』でしたが、当時の記憶が蘇るでもなく、改めて感動することもありませんでしたが、久しぶりに会った気心の知れた友人と忌憚なく語り合っているような、そんな安堵感を覚えながら聴き入ったことを想い出します。

しかし、先日ブレンデルのディスクを聴いて、目から鱗が落ちました。

彼のベートーヴェンのソナタ演奏は、恣意的な感情の導入を排した、自然な息づかいが感じられるアーティキュレーションを土台とした演奏だと思います。

『悲愴』『ワルトシュタイン』『熱情』といったような、定評ある個性的な名演奏が目白押しの曲を彼の演奏で聴いた時、どこか優等生的で物足りなさを感じていたのは、そんな演奏スタイルの所為かも知れません。

しかしその一方で、これまでさほど良い曲とも思わなかったベートーヴェンのソナタが、彼の手にかかると、俄然生気を帯びた素晴らしい曲に思えてくるのは、彼の曲へのアプローチのなせる業だろうと思います。

ブレンデルの『月光』は、先述した曲の自然な流れの中に、多彩な音色が聴き取れる演奏です。そんな特長が曲想にマッチして、このような美しい演奏が生まれたのではないか。そのように感じた次第です。

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