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J.ハイドン:交響曲第101番『時計』

カラヤン指揮  ベルリン・フィル


ハイドンの交響曲を聴いていると、演奏によってはたまらなく退屈になって、途中で投げ出すことがよくあります。

最初の頃は、曲がつまらないのかと思っていましたが、

別な演奏家のディスクを聴くと、胸のすくような豪放磊落さを覚えたり、典雅な雰囲気に思わず襟を正して聴き入ったり…。

ところが、そんな素晴らしいハイドンを聴かせてくれたコンビに期待して、わざわざ別なディスクを買ったら、それが意に反してつまらなかったり…。

疾風怒濤期とパリセット以降の作品しか知らないのですが、

個々の作品が他の曲とは全く異なる個性を有しているわけでもなく、指揮者にとって、曲の振り分けが困難であるとも思えないのですが…。

にもかかわらず、私にとっては、それぞれの曲で演奏家の得手不得手を感じてしまう、ふしぎな音楽です…。


カラヤン/ベルリン・フィルによるこの曲の演奏は、他の演奏と比べると、珍しく全体的に遅めのテンポで運ばれますが、決して鈍重には感じられません。

むしろこの曲のもつ壮麗さや雅やかさ、それにユーモアを引き出すために、有効的と考えたテンポ設定なのでしょう。

第1楽章冒頭、ほの暗い夜明け前の静けさが感じられるAdagio部分から、滑るようにPrestoへと移行する部分の弦の滑らかな響きには、蠱惑的なウキウキする愉しさを覚えます。

アルコール類も好きですが、甘いものにも目のない私には、最高級のスイートを楽しむような、そんな感じがします…。

第2楽章は、この曲に付けられた『時計』というニックネームを意識して、のんびりとした雰囲気を演出すべく、わざとゆっくり目に演奏しているように思えます。

第3楽章のメヌエットの遅めのテンポは、壮麗な式典を想い起こすと同時に、曲想から考えると、意図的に間延びしたような退屈さを演出しているようにも感じます。

中間部のフルートの奏する可愛く心地良い旋律は、式典の最中にうとうとと居眠りをするような、そんなユーモアが感じられます…。


退屈な演奏と、意図的に退屈さを装った演奏とは、申すまでもなく全く別物です。

この演奏には、ハイドンが込めた皮肉なユーモアを感じることができて、彼の交響曲中でも大好きな演奏の一つです…。

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