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モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 二短調

内田光子(ピアノ) J.テイト指揮 イギリス室内管


モーツァルトは27曲のピアノ協奏曲を書いていますが(1〜4番は他人の作品からの編曲)、短調の曲はこの作品と24番のみ。

名曲故に、数多くの演奏がCD化されていますが、私が今最も愛聴しているのは、内田光子のピアノ、J.テイト指揮するイギリス室内管弦楽団の演奏です。

第1楽章冒頭の音楽は、聴き手にとっては様々なインスピレーションを湧き起こさせてくれる重要な部分です。

テイトの指揮で聴くこの音楽は、音量が若干抑えられた低音部の上昇モチーフと、一拍目をずらして奏される(アウフタクトと言うそうです)中声部、そして上声部が奏でる旋律の絶妙のバランスは、あたかも大切な心の支えを失って虚空を彷徨うような、そんな魂の悲しみが感じられる素晴らしいもの。

楽器バランスの微妙な匙加減によって、インスピレーション溢れた印象的な演奏が生まれるのか、あるいはインパクトのないままで曲が開始されるのか、指揮者の感性に負うところが大変に大きい、重要な部分だと思います…。 

テイト盤以外では、バレンボイムが弾き振りをしたベルリンフィルとの演奏では、低音部がわずかに強調されており、よく言われるように、地獄の底から湧きあがるような、鬼気迫る素晴らしい演奏と感じました。

内田さんのピアノ演奏は、どれを聴いても傾聴に値する、聴き流すことができない内容豊かなものですが、時にある種の感情が全曲を通して一面的に強く出されることがあって、聴き続けることが辛くなることがあります。

しかしこの曲では、彼女の特有の読みの深さと、抑制されたオーケストラの伴奏が絶妙にマッチングして、感情の起伏がバランスよく表現された、素晴らしい演奏だと思っています。

第1楽章のピアノソロが始まった時、その音色に、雲一つない秋空を見た時に感じる、悲しいまでに澄みきった美しさを髣髴しました。

第2楽章両端の穏やかな美しさと、それと対比する中間部短調のこみ上げてくるような表現の素晴らしさ。

短調で始まる第3楽章は、途中から長調に転調されますが、内田さんの演奏では、諦観に似た悲しみを感じてしまいました。

素晴らしいモーツァルト演奏だと思います。

この演奏のカデンツォはベートーヴェンの手によるものですが、さすがに変奏の名手。

素晴らしいスパイスを楽しむようで、モーツァルトの曲の美しさを、一層際立たせるものだと思いました。

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