音楽とは全く無縁だった我が家に、一体型のステレオ装置が運び込まれました。
私が中学生になったのを機会に、甥たちの情操教育にと、叔母からプレゼントされたものです。
しかし我が家には、一枚もレコードがありませんでした。
ですから、数ヶ月間はもっぱら音の良いラジオとして、火鉢と折畳み式の卓袱台が置かれた部屋(居間兼食堂)で使われていました。
でも、さすがに叔母に申し訳ないと思ったのか、父から「好きなレコードを捜してこい。一枚買うたるから!」と言われ、迷った末に選んだのが、音楽の授業で聴いたことのあるこの曲でした。
当時は、クラシックが好きだったわけではありません。
ただ、クラシックを聴く人や、ピアノやヴァイオリンを習っている人に、憧れていただけでした。それがクラシックを聴こうと思った動機です。
買ったのは良かったのですが、何しろこのレコードしかないものですから、ある時にはスピーカーと対峙しながら、またある時には勉強のBGMとして、毎日のように聴いていました。
多分200回近くは聴いたと思います。そのために盤面がレコード針で削られて、白い粉がふいていました。
来る日も来る日も同じレコードを聴いた結果、いつしか他の演奏家による『田園』に違和感を覚えるようになって、このレコード以外の演奏を一切受け付けなくなってしまいました。
マインドコントロールされたような状態だったのでしょうね。
実を言うと、このワルターの演奏には、それほど感動した記憶はないのです。
それでも飽きもせずに聴き続けられたのは、当時の私が曲に要求していた重厚さには乏しいものの、滋味深さが心の琴線に触れていたためだろうと推察しています。
マインドコントロールされた私の心を解きほぐしてくれたのが、フルトヴェングラー/ウィーン・フィルのスタジオ録音でした。
某評論家によって、「おどろおどろしい」と酷評された演奏でした…。
確かに聴きようによっては、冒頭から爽やかさとは一線を画した演奏かも知れませんが、遅めのテンポでじっくりと曲が進むうちに、茫洋とした自然の懐に抱かれたような、しみじみとした感慨に包まれてきます。
第2楽章、フルトヴェングラー特有の、曲の流れに沿った自然なテンポの揺れが、恰も頬を撫ぜる風のように感じられて、小川の辺に佇んでいるような心地好さ…。
第4〜5楽章への移行部分、嵐が終わった後の、神々しいまでに感動的なホルンの響き等々!
繰り返し聴いたワルター盤での印象を完全に払拭してくれました。
今も初々しい感動を与えてくれる、私の愛聴盤となっています。