でも「何時も…」と言われると、「それは?」と首を傾げたくなります。
その場、その場の精神状態によって、普段気持ちよく聴いている音楽でも、時には苛立たしく思うことも、少なからず体験しています。
それが、モーツァルトの曲であっても…。
しかしながらこの曲、どんなに荒れた精神状態の時でも、演奏が始まればその世界に没入することができますし、
曲が進むにつれて気持ちが高揚して、
最後の和音が鳴り響いた時には、一時全ての憂さを忘れることができるのです。
特にサラリーマン時代には、ストレス発散のために第4曲“アッピア街道の松”を、音量を上げてよく聴いたものでした。
尤も悦に入っているのは私一人で、妻は「もういい加減にしたら…!」と言わんばかりに、鬱陶しそうな顔をしていたのですが…。
第1曲:ボルゲーデの松
第2曲:カタコンブ付近の松
第3曲:ジャニコロの松
第4曲:アッピア街道の松
以上4曲から構成されるこの交響詩は、順に昼、夕方、夜、夜明けと、時間の経過を追って休みなく演奏されます。
子供たちがはしゃぎ回る現実の世界を描いた第1曲。
一転して古代ローマのキリスト教徒を祀ったカタコンブでの祈りを描いた、荘重な第2曲。
月明りに照らされた夜の静寂を描いた第3曲。
この曲の最後に流れるナイチンゲールの囀りは、作曲者によって使用テープが指定されているそうですが、実に効果的な演出で、幻想的な雰囲気が最高潮に達します…。
圧巻は第4曲。朝靄に煙るアッピア街道の彼方から、古代ローマ軍の兵士達が進軍してくる幻想の世界が描かれています。
遠く聞こえる進軍の足音。
クラリネットが奏する古代の呪文を思わせるような旋律。
かすかに響きわたるトランペットの音色。
詩的な雰囲気が横溢した、素晴らしい冒頭部だと思います。
そして楽器が総動員されて、ひたすらクライマックスに突進する高揚感!!
この部分、20世紀前半を代表する大指揮者トスカニーニが、レコーディングに際し、録音機の針が振り切れるために音量を押さえて収録した技師に対して、「機械が壊れてもいいから、目一杯の音量で収録せよ!」と激怒したとか…。
この演奏も素晴らしいものでしたが…
しかしここ十数年来、私は録音的に満足できるムーティ/フィラデルフィア管の演奏を聴いています。
クライマックスに向かっての即興的な盛り上がりが、ちょうど車のアクセルを踏み込んだ時の、グンとくる高揚感に繋がるようで、大好きなのです!…