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ドビュッシー:夜想曲

デュトワ指揮  モントリオール管弦楽団


どんなに日中暖かくとも、日暮れとともに氷点下の世界が訪れる軽井沢の冬は、暗くなってから外出する気には毛頭なれません。

TVの地上波が届かず、マスコミが提供する娯楽とはすっかり縁がなくなった我が家では、夜7時のニュースが終わると夫婦別行動…。

私は一応机の前に座って、本のページをめくったり、パソコンのキーを叩いたり…。

偶々以前に買った画集の中に掲載されているブラマンクの風景画を見ていました。

陰鬱と思える画面に描かれた雲を見ると、以前からドビュッシーの『夜想曲』の第1曲「雲」を連想することがよくありました。

そこで、長らくご無沙汰していたデュトワ/モントリオールの演奏を取り出しました。

ドビュッシーは印象派画家の作風から影響を受けたと言われ、3曲からなる『夜想曲』は、それぞれに「雲」「祭り」「シレーヌ」という標題が付けられています。

1曲目、皓々とした月明かりに照らされた雲が、時にその光を遮りながら流れるさまが目に浮かび、
それによって生ずる光の明暗や大気の微細な変化までもが伝わってくるような、繊細な演奏です。
そして、やがて訪れる夜の静寂…。

2曲目、彼方から近付いてきた祭りの賑わいは、一時心を浮き立たせてはくれますが、やがては去って行く…。
そんな儚さを髣髴させる音楽と感じられます。

3曲目のヴォカリーズは、上半身が人間の女性で下半身が鳥の姿をした伝説上の海の魔物の、辺りを航海する舟人を誘惑する声を表します。
冒頭、魔物と化した自己の運命に対する慟哭のような荒々しい合唱が、
やがて静謐へと鎮まってゆくさまは、己の運命への諦観のように感じられます…。

デュトワの演奏は、描かれた曲の雰囲気が際立って克明に感じられる素晴らしいものです。

しかしそれ以上に印象的だったのは、3曲とも弱音で奏される最後の音が消えた後に、素晴らしく意味深い余韻が漂っていたことでした…。

ふと、“ゆく川の流れは絶えずして…”や“祇園精舎の鐘の声…”に代表される中世日本の無常観を髣髴としたのは、深読みのし過ぎでしょうか。

 

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