作曲されたのは34歳の時で、既に功成り名遂げていた彼が、自らを英雄に擬えて、その半生を回顧した自伝的作品と言われています。
そのために一部の評論家や聴衆からは、厚顔無恥な人格と見做され、それが作品の評価にまで負の影響を及ぼしているようにも感じます。
実は私も、嘗てはそんな風評に影響された一人で、碌に曲を聴きもしないうちから、彼の作品は浅薄で嘘っぽいものと思い込んでいました。
そんな先入観念に囚われていたにも拘らず、管弦楽曲だけは長年にわたって途切れることなく聴き続けてきました。
曲の内容云々よりも、フルオーケストラが奏する痛快さや、楽器毎の音色の美しさといったオーディオ的な快感に惹かれて、録音が良いといわれる新譜を買っていたのです。
いま最も気に入っているCDは、新譜の時には注目すらしなかったオーマンディ/フィラデルフィア管の演奏。
再発売を機会に購入したのですが、一聴して感動しました。
若い頃のように集中力を持続させることが難しくなった昨今、休みなしに45分にも及ぶ演奏を、一瞬たりとも気持ちを弛緩させることなく、今までに体験できなかった曲への共感を抱かせながら、一気に聴かせてくれたのです。
曲を隅々まで理解しつくした指揮者が、その効果を最大限に活かすために、的確に壺を押さえて指示しているからこそ可能な演奏だろうと感じました。
RCAの録音も素晴らしいと思います。
1.の冒頭でホルンと低弦が奏する英雄の主題の響きの美しさには、心底惚れました。
オーマンディ時代のフィラデルフィアの音色は、「ビロードのような…」と表現されていましたが、まさにそのとおり!
つややかで柔らかく温かい感触が、耳に心地よく響きます
2.での、敵の陰口や嘲笑を表現する木管楽器の饒舌さには、思わず聞き耳を立てるような…。
3.での伴侶のテーマを表現するソロ・ヴァイオリンの息を呑むような美しさ等々…。
4.のスペクタクルな演出は、良くも悪しくも評価された、有名な“フィラデルフィア・サウンド”の真骨頂とも言えるものなのでしょう。
しかしそれら以上に惹かれたのが、5〜6にかけての語り口の素晴らしさでした。
この演奏を聴いて、静謐であることへのささやかな喜びを感じたものです。
若くして獲得した名声と引き換えにシュトラウスが失ってしまったのであろう、平穏な生活。
そんなささやかな喜びを希求するシュトラウスの願いが込められているように思え、彼に親しみを感じさせてくれた素晴らしい演奏でした。