少し前までは(今も?)、バルトークの作品をこのように評価する人が多く、それなりの覚悟をした上で拝聴しなければ、理解することが難しい音楽とされてきました。
私もそんな気持を抱いて何度も挑戦しつつ、跳ね返された一人でした。
「高が趣味の音楽に、なぜそこまで…」と思われるかもしれません。
理由は、解らないながらも曲に魅かれる何かを感じるからこそ、なんとかしてその魅力を理解したいと強く思うのです。
バルトークに関する様々な評伝を読み、周辺知識を固めることによって、作品を理解することも一つの方法だと思います。
バルトークとは関係のない話ですが、私自身も、これまで小林秀雄著『モーツァルト』をはじめとする書物や、『レコ藝』等の雑誌記事を読んで自らの感性の欠如を補ながら、様々な作曲家の様々な作品に親しもうとしてきました。
だからこそ50年近くにわたってクラシック音楽を聴き続けてきたと思っていますので、そのことを否定するつもりは毛頭ありません。
しかし今は、そんな方法で培われてきた自らの感性で、世評に阿ることなく、雑念を一切抱かずに、心の従うままに音楽を楽しみたいと強く思うようになりました。
ところで、私がバルトークの音楽が少し理解できたように思ったのは、ドラティがロイヤル・コンセルトヘボウを指揮した標題のディスクを聴いた時でした。
この演奏のそこかしこに、土俗的で懐かしさに溢れるような旋律を、初めて感じたのです。
マジャール民族の持つリズムや旋律の歌い回しについて具体的に述べる知識はありませんが、コダーイらと共にハンガリー各地の民謡を採譜した体験が、彼の作曲上の礎となっていることを実感できたように思いました。
第1楽章の序奏部、これまで聴いてきた演奏からは何となく神秘的な印象しか抱けませんでしたが、深い静寂を思わせる低弦のうごめきの中から、弱音機がつけられたトランペットが奏された時、朝靄を破って大地の目覚めが実感できるような力強さを感じました。
第2・4楽章では、長閑な田園風景や楽しげな人々の姿が想像できます。
第3楽章は、夜の帳に包まれる頃、突然にわきあがる悲痛な哀歌は、故国を去ったバルトークの望郷の念と感じられます。
そして、力強い勝利の凱歌を聴くような第5楽章…。
ヨーロッパ各地でのナチスの台頭を嫌って止む無くアメリカに移住したバルトークの、故国ハンガリーへの郷愁が横溢した音楽であることが実感できたように思いました.