毎年これを体験すると、いよいよ本格的な冬の到来を感じます。
そして寒さに身が引き締まる思いがすると、不思議にクレンペラーの厳格な演奏が聴きたくなってきます。
今日は彼の演奏の中から、D.オイストラフのヴァイオリン、フランス国立放送管弦楽団による標題の曲を聴きました。
D.オイストラフの演奏は、LP時代には四大ヴァイオリン協奏曲(今では死語?ベートーヴェン・メンデルスゾーン・ブラームス・チャイコフスキーを指す)や、ブルッフ・ショスタコヴィッチの協奏曲等を、よく聴いた記憶があります。
しかしCDの枚数が増えてきたために、「荷物が多くなり過ぎ!」との女房の忌々しそうな憎まれ口に渋々従い、不覚にもLPの大部分を処分しました。
その後、CDとして買い直した彼のディスクはありません(LPはセル/クリーヴランドの演奏)。
還暦を迎え、時間は無限に残されていないことを身にしみて感じるようになった昨今、仮に当たり外れはあったとしても、未知の感動により多く出遭うことを選びたいと思います…。
それに昔得られた感動は、あくまでも記憶の範疇にとどめておく方が幸せなことも多いようですし…。
ところでこのブラームスは、両巨匠が丁々発止と渡り合うような、白熱した演奏とは一線を画したもの。
お互いが淡々と曲を語り合うように思え、そんな中に曲の持つ格調の高さが感じられます。
クレンペラー特有の厳格な構成感に支えられた悠然としたオケにのって、オイストラフが奏でるヴァイオリンのソロは、ロマンティックでのびやかなもの。
小細工を弄さない、堂々とした演奏と言えばいいのでしょうか。
曲の大きさにどっぷりとつかりながら、ブラームス特有の内に秘められたロマンを存分に堪能することができました。
最近は、ピリオド楽器による演奏に代表されるように、解釈に趣向を凝らした演奏が増えてきました。
確かに、そういったディスクに興味を魅かれることも少なからずあるのですが、「ふーん、成程ね!」で終わってしまうことが大部分。
従来から親しんできた正攻法の演奏に、より大きな感動が得られるように、私は感じるのです…。