最近聴いたCD

R.シューマン:歌曲集『リーダー・クライスop.39』

F.ディスカウ(バリトン)  エッシェンバッハ(ピアノ)


  アルペッジョで奏でられるエッシェンバッハのピアノ伴奏にのって、フィッシャー=ディスカウの歌う第1曲『異郷で』が我が家のスピーカーから流れだした瞬間、譬えようのない美しい別世界にタイムスリップしたような幸福感に包まれました。

それは、コンサートでもごく稀にしか体験できない、身震いするような瞬間でした。

ドイツの小説家で詩人でもあるアイヒェンドルフの、12の詩をもとに作曲されたこの歌曲集。

故郷を離れ、異郷をさすらう若者の心情が歌われた1曲目の詩の内容が、曲集全体に「孤独」というテーマを与えているように感じます。

日本語以外は聞けず喋れずの私ですが、歌曲を聴く時は、声も楽器の一つと考え、歌詞の意味は一切無視し、ひたすら音のみに集中するようにしています。

若い頃には、詩の意味を理解しようと、ライナーノートを目で追いながら聴いていたのですが、しんどいだけで曲を味わう余裕など全くありませんでした。

そのため、一時期声楽曲が嫌になって、全く興味を示さなかったこともありました。
ですから、「孤独」というテーマを思ったのも、詩を理解したうえでのことではなく、演奏を聴いて感じた印象にすぎないことをお断りしておきます。

ディスカウの、語るように開始される歌唱を聴いて、音楽表現(演奏)における知・情・意の微妙なバランスの重要さを強く意識せざるを得ませんでした。

そしてこの曲の場合、楽譜や詩を深く理解した上で、知・意よりも情を優先させた彼の歌唱が、シューマンの旋律の密やかな美しさが、より好ましく表現されているように思えました。

彼の表現を、時に理屈っぽく感じるとおっしゃる声楽ファンは、結構多くいらっしゃるようです。

私は、限られた特定の歌手しか聴いていないため、そのことについて意見を申し上げられる立場にはありませんが、エッシェンバッハが伴奏をつとめる、男声のために書かれた全作品を彼の歌唱で聴いて、シューマンの歌曲の素晴らしさを認識した次第です。

その中でもop.39は、異次元の名演奏だと、最近思うようになりました。

     

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