最近聴いたCD

ショパン:夜想曲ハ短調op.48-1

ピアノ:クラウディオ・アラウ


クラシック音楽を聴き始めた頃、誰が言いだしたのやら、私の周囲ではショパンは“お嬢様の(聴くor弾く)音楽”と、半ば蔑みをこめて評価されていました。

その頃、私が知っていたショパンは、『華麗なる大円舞曲』『子犬のワルツ』『雨だれ』『別れの曲』といった、昔の家庭用の名曲集のLPに収載されているような曲ばかり。

しかも、標題音楽のごときタイトルに気を取られ、そのイメージを求めながら聴いたために、曲本来の良さに気付けずにいたのだと思います。

私が30歳を少し超えた頃だったと思います。フー・ツォンという中国出身のピアニストの弾く『夜想曲』全曲が、レコードアカデミー賞の器楽部門賞に選ばれたのを知りました。

記憶が定かではありませんが、確か「従来の夜想曲のイメージを超え、深い情念を表現した最高の演奏」と絶賛されていたので、この2枚組LPの購入を決意したのです。

この演奏には惹かれました。
ある意味演歌にも通じるような、深い情念が渦巻く演奏と私も感じました。

特に作品番号の若い曲に関しては、繰り返し何度も聴いたものです。

この演奏を通じて私はショパンが好きになり、いずれは彼の全作品を聴こうと決意するほどに夢中になったものでした。

しかし、今回話題とするop.48-2に関しては、フー・ツォンの演奏も含め、その後に聴いた様々なピアニストによる演奏は、一つとして印象に残っていませんでした。

アラウの演奏を初めて聴いた時、夜想曲にこんな素晴らしい曲があったのかと、目から鱗の思いでした。

彼の演奏からは、繊細で肌理細やかな抒情が、やがてとてつもなく大きな感情へと高まっていくさまが、あからさまに伝わってきます。

そんな感情の高まりは、思いが伝えられないもどかしさに悩む恋心のように感じられて、昨年還暦を迎えたオジサンは、過ぎ去った日のそんな想い出に、年齢甲斐もなく思わず涙したものです。

アラウの演奏を聴くことによって、この曲の素晴らしさを初めて知ることができました。

その後、改めて他のピアニストの演奏を聴くと、実に様々な表現がなされていることに、少しびっくりしました。

「こうでなければ…」ではなく、「こんな演奏もあり…」と感ずること。

そんなことに気付けることも、クラッシックを聴く喜びの一つです…。

さまざまな解釈が受け入れられる曲とは、言い換えればより多くの人々に受け容れられるキャパシティーを持った素晴らしい作品ということでしょうね。

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